オーストラリアの歴史について

オーストラリアは世界で六番目に広い面積を持つ国であり、国際社会においても発言力が強いことで知られています。
英語が公用語となっていることから観光地としても人気があり、日本では古くから旅行や移住の定番スポットとして知られています。
移住後の暮らしを充実させるためにも、オーストラリアの歴史について学びましょう。
イギリスの流刑地から発展した国家
オーストラリアは元々、先住民のアボリジニが住む地域でした。
そのころは国家としての形は存在せず、いくつもの部族が共存する原始的な社会だったと言われています。
現在のような国家に繋がる基本的な形が作られたのは18世紀後半です。
イギリスが犯罪者を追放する流刑地としてオーストラリアを利用し、監視役として役人などのイギリス人がオーストラリア移住を行いました。
近代的な意味での国の起こりはイギリスによる流刑地の指定が最初であり、この点を指して歴史の始まりと見ることができます。
また、流刑地であると同時に金などの地下資源を採掘する植民地でもあったため、事実上のイギリス領となったのです。
オーストラリアは元々がイギリスの植民地ですが、その一方でイギリス人が流刑地として指定した1788年から独立国家として成立しているとも言われています。
植民地が宗主国と対立して独立を勝ち取ったのではなく、植民地として扱われた当初から自治州のような位置付けであり、自然に一つの独立国家の形になったとされているのです。
現在でもオーストラリアは国家として独自の運営を行いつつもイギリスとの繋がりは強く、アングロサクソン系の白人が多い欧州各国とも親密な関係と言えます。
アボリジニに対する迫害の歴史
近代オーストラリアの歴史を学ぶ際、先住民のアボリジニに対する迫害は無視できない事柄です。
オーストラリア移住を行ったイギリス人は鉱山の開発や野生動物の捕獲を目的にアボリジニを生活圏から追い出し、時には争いを起こしたこともありました。
また、アボリジニとイギリス人の混血も進んだ結果、19世紀末には純血のアボリジニは絶えたとされています。
現在もアボリジニの血が強く残る人に対する差別が根強く残っている他、アジア系や中東系の移民も差別されることがあります。
これは植民地時代に形成された白人優越思想である白豪主義が原因であり、現在のオーストラリア社会でも問題視されています。
移住先の歴史を正しく理解することが重要
外国への移住は夢や希望に満ち溢れているイメージがありますが、移住先が必ずしも理想的な環境とは限りません。
どの国にも差別など負の歴史が存在することを正しく認識するのが移住者の務めと言えるでしょう。
オーストラリアへの移住を考えるならその国の歴史を学びつつ、前向きな姿勢で生活を営むのが快適に暮らすための秘訣です。